■ 誰もが突き当たる2つの問題
「怒っちゃいけないって、
頭ではわかってるんですけどねぇ…」
認知症の患者さんを介護するご家族から、
何度も聞かせてもらったフレーズです。
何度も同じことを聞いてくる、指示通りにやってくれない
伝えてほしいことを伝えてくれない、予定をすっぽかす
やってほしくないことをする…
本当に腹が立つことばかり!
介護の教科書には怒っちゃいけないって
書いてあるのは知っている。
知っているけど、怒ってしまう。
自分にも腹が立つ。そして、ひどい自己嫌悪…
誰だって家族には優しく接したいし、
関係を悪くしたくない。
でも…
この気持ち、どうにかしてほしい!
そうですよね。
家族の介護というのは、そもそもとても大変です。
なぜ大変なのか?
それには大きく2つの問題があげられます。
問題の1つめは「家族の関係性」です。
●お互いに遠慮がない
●お互いにすぐに感情的になる
●お互いの話を素直に聞けない
●自分の話を聞き入れるのが普通だと思っている
(つまり、お互いに相手に対する要求水準が高い)
● お互いに依存している
どんな家族にも、いえ、家族だからこそ、
お互いの関係性に問題があるのです。
もう少し素直な言い方をするならば、
お互いに「甘え」があるということです。
甘えがあれば、相手に対して我慢することなどないし、
できません。
はなっから我慢など必要ないと思っている人すら
いるかもしれません。
ですから、家族同士では、
普段他人には決して言わないような言葉を吐いてしまい、
攻撃的な態度をあらわにしてしまうのです。
家族には関係性の問題があり、それが介護を難しくしている、
そのことをしっかりと心に刻む必要があります。
■ マイナスの感情が介護に影響
問題の2つめは「受容の難しさ」です。
自分の家族が認知症であることを受け入れることは
簡単ではありません。
また、患者さんとの生活の中で生じるいろいろな困りごとを
受け入れることも簡単ではありません。
そして、「この先どうなっていくのか…」という
強い不安にも苛まれます。
人は自分の望みがかなわないときに、失望、怒り、後悔、悲哀
といったマイナスの感情を味わいます。
このマイナスの感情が、家族の介護にも大きく影響し、
介護を難しくする要因となっているのです。
最大限に強調しておきたいことですが、この2つの問題は、
決してあなたの家族に限ったことではないということです。
介護をしているほとんどの家族は
これらの問題に突き当たって煩悶しています。
家族を介護することは、
他人を介護することとは全く違うのです。
超高齢社会の日本にあって、
すでに認知症は世間にありふれたものになっています。
認知症患者さんへの対応の仕方について、
こうあるべきだといった話を読んだり、
聞いたりすることも多いことでしょう。
家族に認知症の患者さんがいれば、なおさら、
認知症の方への対応を勉強していることと思います。
私が参考にさせてもらっている数々の認知症介護の手引書にも
それぞれに大変良いことが書かれていますので、
是非参考にしていただき、よりよい介護に
つなげていただければと思います。
ただ、そのよりよい介護に向かう手前に、
お伝えした「家族の関係性」「受容の難しさ」という
大きな壁が立ちはだかることを
常に忘れないでいてください。
■ “怒り”に折り合いをつけなければ
「怒っちゃいけない」。確かにその通りです。
怒ったところで、事態は改善どころか、
お互いの感情を傷付け、関係性を悪化させてしまいます。
皆さんも十分すぎるほど経験してきたことでしょう。
それでも、怒らずにはいられないのが人情です。
怒りをぶつけることは、問題行動を起こした相手を懲らしめ、
反省を促したような気になり、
自分の感情を吐き出して溜飲を下げ、
一時的な効用・高揚を感じさせてくれます。
ただ、少しでも冷静さを取り戻せば、
苦々しい感情が頭をもたげ、
お互いの関係の悪化に心を痛め、
強い後悔の念に駆られます。
このやるせない気持ち、怒り、悲しみ、寂しさに、
なんとか折り合いをつけなければ、
家族の介護に向き合うことはとても難しいのです。
そして、介護者一人で、あるいは、家族だけで抱え込んで
この状況を克服することは、果てしなく難しい作業
となることを知っていただきたいのです。
■ 「普通の家族」は存在しない
私たちは普段からテレビやネットといった
様々なメディアを通じて、
多種多様な家族の物語を見聞きしています。
そこで流布される家族の物語は、
経過の中で紆余曲折はありながらも、
ハッピーエンドのポジティブな物語が主流かと思います。
その一方で、ネガティブな物語も決して少なくありません。
例えば、犯罪者が生まれてしまった家族の物語であったり、
家庭内暴力や虐待の問題であったりです。
私たちの社会や文化がそうさせるのか、
あるいは私たちの心がそれを欲するのか、
私たちはポジティブな家族の物語を
「普通の家族」として意識にすり込んでしまいます。
ネガティブな物語がどの家族にもあり得る話だったとしても。
私たちは基本的には
自分の育った家族のことしかわかりません。
意識の中に形成された「普通の家族」は
いわば理想化された家族像です。
ですから、自分の家族(現実の家族)との
ギャップに苦しむことになります。
理想の家族の一員として振る舞えない自分を卑下し、
罪悪感に打ちのめされてしまうのです。
しかし、世の中にいわゆる「普通の家族」
というのは存在しません。
外からはどんなに幸せそうに見えたとしても、
全く問題を抱えていない家族など存在しませんし、
時の流れと共に家族のあり方も変わっていきます。
■ 家族の重荷を軽くするために
認知症になっても平穏無事な暮らしを送りたい。
そのために、医療・介護の充実は当然ですが、
それだけでは十分ではありません。
どんなに認知症の理解が社会に広がり、
周囲から救いの手が差し伸べられたとしても、
家族と過ごすコアな時間は残されます。
家族が救われなければ、そのサポートのもとで暮らす
患者さんの安心・安全は得られません。
まずは、介護に携わっている方自身が
自分の置かれた状況を少し遠くから眺めてみましょう。
一生懸命になりすぎるとかえってうまくいきません。
その上で、前述した「家族の関係性」の問題、
「受容の難しさ」の問題があるということを
思い出してください。
これにより、多少なりとも心が軽くなればと思います。
さらに、私たちの意識にすり込まれた理想の家族像は
ちょっと横に置き、
余分な罪悪感にとらわれることなく、
介護に向かうことができればと思います。
どうしたって妥協も必要になります。
決して無理することなく、
しっかりと自分自身もいたわりながら、
やれる範囲で日々の生活を送っていきましょう。
たまゆらメモリークリニック 小粥正博